どうする ALS  

         59歳でALSと診断された。定年退職まで、あと8ヶ月の頃だった。 ALSとともに4年目に入った。 その間に呼吸器が付き、手足が動かなくなった。 これからどうするのか…  日々の感情や考えを綴っていきたい。

78話 ぼやかして

タイトルを「愚痴らせて」とするか迷った。

ぼやくは、関西言葉だと思っていたが、標準的な言葉だった。
ぶつぶつと文句や愚痴を言うこと、と説明されている。
関西人には、ぼやくが似合う気がする。


お笑いで有名な吉本興業に所属していた芸人がいた。
人生幸朗・生恵幸子の芸名の夫婦漫才師だ。
(若い読者はご存知ないと思うが、面白かった)

芸風は夫の人生幸朗が歌謡曲や世相などに、とんちんかんな難癖をつける「ぼやき漫才」だ。
「まぁ皆さん、聞いてください」からぼやきが始まる。


私のぼやきも聞いてください。

指文字が本当に書けなく意思伝達が困難になった。
何度も何度も、文字盤ボードを使ってと発信し続けるが使わない者がいる。
妻もそうだ。「お前が使わんと示しがつかんやろ」
何度言ってもわからん者をどうするかで悩んでいる。



入浴前に口腔ケア(歯磨き)をおこなった。
いつもは栄養剤の注入前に口腔ケアをして、最後に乾燥防止のワセリンを唇に塗る。
入浴前なのに、いつものごとくワセリンを塗る。
考えろ。
風呂に入る前に、口紅を塗る者がおるんか!


注入前の薬を目の前にかざす。
見えませんか、照明が反射してますか。
それを言う前に「〇/〇日の薬です」がなぜ言えん。
注入前に本人に見せて確認してくださいと発信してるやろ。
ちゃんと覚えといてくれ。


夜のこと、外は暗く部屋は明るい。
外から部屋の中が丸見えだ。
用を足すのに、ブラインドを閉めてと合図を送った。
「見えませんて」
外から見てきたんか!

窓の近くにベッドがある。向かいの2階から見えるかもしれない。
そもそもエチケットだ。
道理のわからん者がいる。


朝の顔拭きに使ったタオルを、青いバケツに入れてと連絡ノートで発信した。
ところが、白バケツや赤バケツに入っている。
色違いの同じバケツが3個ある。
阿保でなければ、用途の違いに察しがつくはずだ。
それとも、青・赤・白の色自体がわからないか?
幼稚園に行き直すことをお勧めしたい。


まだまだ、ぼやきたいことは山ほどあるがキリがない。


前述の漫才師人生幸朗には、ぼやいた後の決めゼリフがあった。
「責任者出てこい」


私も言いたい。
誰がこんなに拙いヘルパーを送り込んで来たんや。
「責任者出てこい」


かなり荒い表現だと自覚しているが、私の本心だ。
それほどにイライラしていることをわかってもらいたい。


人生幸朗なら「ごめんちゃい 」で終わるところだが・・・。
人生幸朗・生恵幸子のYouTube動画
Google Search

 
 
 

77話 ステップ製作

製作個数で悩んでいる。
私の希望は、普及させたい。
それには金型が必要だが高額だ。
どうする。


車いすのステップは、装着が義務付けられている物ではない。
私のステップは、パイプを安全に踏むための便利グッズだ。


介助者に聞くと「ないより、あった方がいい」との感想だ。
パイプは雨で滑りやすく、屋内では素足で踏むと痛い。
ステップが必要とされる場面はある。

特に高齢者や小柄な介助者にとっては役立つ補助具と思える。
乗り手は、チョットした介助者の反応を不安に感じる。


体格のある男性を乗せて、妻が介助して段差越えを試してみた。
「足で踏み込むだけでは、前輪が上げる効果を感じない」
「あたりまえじゃ、踏むだけでは上がらん」
タイヤを支点として前輪を上げるには、パイプを相当に長くする必要がある。
てこの原理だ。

長くすれば足に当たって邪魔になる。
それでもステップを装着すれば、パイプより踏み面が2センチ長くなっている。
「踏みやすくなる」
私の凝り固まった想いだ。


しかし「上げる効果を感じない」は悔しい。
「上がりやすくなった」と言わせたい。
設計の見直しだ。


もう少しお待ちいただきたい。
(誰か待っているんか)
必ず世に出してやる。
自己満足で結構。


女子アイスホッケー選手の志賀紅音選手の言葉だ。
「やらない後悔より、やって後悔」

普及させたい想いを貫きたい、やって後悔を選びたい。
 
 
 
 

76話 遠い約束

♪「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び逢うまでの遠い約束」
来生たかお「夢の途中」の出だしのフレーズだ。(作詞 : 来生えつこ 作曲 : 来生たかお)

赤川次郎の長編小説が、1981年(昭和56年)に「セーラー服と機関銃」というタイトルで、主演、主題歌、薬師丸ひろ子で映画化された。


古い曲だが、ブログをご覧の皆さんはご存知だろか。


3月は別れが多い印象を受ける。
卒業式があるからだと思う。


今年、自宅療養を始めた時から支援に入っていた事業所が、諸事情で3月をもって撤退した。
ヘルパー3人には、大変お世話になった。
4月からは、もう来ない。
とても寂しいことだ。


他事業所の若くて綺麗な女性ヘルパーが、自身の事情で退職してしまった。
(ここは、すんなりと通してください。承知しておりますので)
私のような状態のオッサンの支援を嫌がらずできるのか?
若い女性ヘルパーに、どう接すれば良いのか不安があった。
不安は無用だった。
ヘルパーとしてのセンスと器用さがあり、短い期間だったが、惜しいヘルパーだった。


そして、このブログにも2回登場している「笑える入浴トリオ」の看護師が、故郷へ帰って病棟看護師になると伝えてきた。

最後の入浴前日の夜のことだった。
ショックだった。
これまで、どれ程に楽しい入浴時間を提供してくれたことか。

帰り際に彼女が両手で私の手を握ってくれた。
「お世話になりました。お元気で、京都に来たら寄りますね」
握り返せず、ありがとうも言えなかった。


3者とも遠ーく離れたところに行ったのではない。
しかし、もう会うことはないだろう。


冒頭の「夢の途中」の歌詞は「ただ心の片隅に、小さくメモして」で締めくくられている。

再び逢うまでの遠い約束とは、
想い出として心に留めておいてね、という意味だろうか。


来生たかお
https://www.youtube.com/watch?v=KgVkLLwUP18

薬師丸ひろ子
- YouTube


 
 
 

75話 事件です

自宅ポストに傷がついている。

玄関扉の横に付いているポストではない。
多機能ポストと呼ばれ、表札、カメラ付きインターフォンが一体となっている。
その支柱に深い傷がついていた。


車椅子で外出する時は、いつも傷のチェックをしている。
なぜなら、以前に細いすり傷が付いていたからだ。


今回の傷は、真新しい。
前回外出した時にはなかった。
今回の入院する時には傷があった。
限られた短い期間に付いた傷だ。


玄関前の小さなスペースに、ヘルパー等のバイクをとめる。
ある者は、バイクを置けないと来れないと言う。
そうだろうか。
置場を確保しなければ、支援は受けられないのか。


本題に戻るが、
傷を見つけた時に、すぐに一人の人物が浮かんだ。
「あいつや」
手技は上手いが、動きがガサツだ。(荒っぽい)
且つ、失敗を隠したがる保身的な性格。


あれ程の傷だ。付けた本人は覚えがあるはずだ。
もちろん、故意にとは思っていない。
全員に向けて「名乗り出て欲しい」と発信したが、誰も手を挙げる者はいなかった。


私が疑っている者に、直接聞いた。
「俺ではない」との返答だった。
証拠はなく、それ以上何も言えなかった。
真相はわからずじまい。


彼でなかったかもしれないが、日頃の行いからの疑いだ。
いかに、日常の行動や姿勢が大切かに気づいて欲しい。


家族不在宅の寝たきりの支援。
何処で何をされていてもわからない。
ヘルパーを信用しなければ、成り立たない支援だ。


ヘルパーの行動や姿勢を、利用者は見ている。
集中を欠いている様子は、すぐにわかる。
あまりに信用を失えば、ポスト(支援枠)を失うことになる。


失敗は誰にもある。
正直に言ってもらいたい。
そんな事件だった。
 
 
 
 

話外 医師と大バトル

退院2日目に訪問医師が来訪。
妻から当日に来訪される時間の連絡があった。
(目的は備品の補充だった)


何が原因でバトルになったのか。
カフアシスト(排痰補助装置)を自宅で使用するか否かだ。

これまで、カフアシストを使用したことはない。
病院で機器の設定値を決め、理学療法士(PT)が施術を行っていた。
決まった曜日にだ。


退院時に本体機器と付属品を持ち帰り、自宅でも続けると思っていた。
訪問医にカフアシストについて尋ねると、必要がないと。

俺) 病院からも誰からも、必要ないとは聞いていない。
医師) 必要がないから言わなかったんでしょ 。
それは、おかしい。
必要か、必要でないかは伝えるべきだ。


状況からして、自宅でも続けると思っても不思議ではない。
俺の言い分を理解していないのか、グダグダと説明を繰り返す。
挙句「なんぼ言っても無理やわ、好きにしはったら」と吐き捨てた。
悔しいー。
俺が声を出せてたなら、言い返せたのに。



もう一つのバトルだが、
陰部が痒いので、ケトコナゾールという抗真菌(カビ)薬を処方して欲しいと頼んだ。
以前入院していた時に、皮膚科医が処方した薬だ。


必要ない、今の塗り薬でいいと。
患部も診ずして「必要ない」と言えるのか。
診断のくだし方が、おかしいと思う。


まぁ、いつものことだ。
下腹部が痛いと訴えても聴診も触診もしない。

訪問医はデータや画像のみで診断するタイプだ。
本人の自覚は、聞き入れない。


医師が全て正しいとは限らない。
不適切な発言、不適当な診察には、患者もひるまず指摘すべきだ。

さてさて、お互い頑固者。
この先うまく付き合っていけるか、心配だ。

74話 リハビリ士

リハビリ士なんて名称はない。

リハビリ専門職は、理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚士(SP)に分類される。
病院では、患者から「先生」と呼ばれることが多い。


失礼ながら、私は先生とは呼んでいない。
過去の入院で作業療法士を「先生」と呼び、こびを売ったことがある。
若くて綺麗なOTだった。


そんな話はいいのだが、
リハビリ職の大きな使命は、機能回復と維持だと思っている。
ならば、毎日を続けるほうが良いはずだ。

ところが、リハビリはカレンダー通りの休み。

折角ほぐれた可動域や骨格筋が、元に戻るやん。
何のためのリハビリ?
疑問を感じる。



医療従事者のピラミッドの頂点は医師だ。
次は看護師だと思う。

薬剤師、臨床検査技師、臨床放射線技師、臨床工学技士、管理栄養士は
患者と接する機会は少ない。
裏方的な専門職だ。


その点、PT、OT、STのリハビリは患者とマンツーマンで接することが多い。
信頼関係も生まれる。
病院の患者から「先生」と呼ばれるのは、医師とリハビリ3職士くらいだろう。


ところが、リハビリの先生から聞いた話では、立場的には「低い低い」と謙遜する。
看護師にソッポ向かれたら、仕事ができないと愚痴っていた。


研修医も先生。
ベテラン看護師には、とてもかなわない。

看護師は強いなぁ。

「先生」と呼ばれるのも大変そうだ。
 
 
 

73話 神経内科医

この病気になるまでは、神経内科を受診した覚えはない。

仮にの話ばかりだが、
私が医師を目指すとしても、神経内科医にはならない。
なぜなら、神経内科が診る領域を知ったからだ。

認知症のような記憶障害、ALSのように運動神経が侵される病気。
完治の見込みのない病気と対峙する。
患者の「治りたい」との望みを叶えられない医師になるのは嫌だ。



ALSと確定診断した先生は神経内科医だ。
信頼、尊敬する先生だ。
自宅の訪問医も、いま入院中の主治医も神経内科医。(そりゃそうだ、ALSだから)


いくつもの診療科目がある中で、
なぜ神経内科医になったのか聞いてみたい。
失礼ながら
難病が治ったと患者から喜びの言葉はないはずだ。


外科は手術が必要なケガや病気を中心に診る科だ。
多くの場合、良くなって退院する。
患者と家族の喜びの顔が見られる。
医師にとっても喜びを共有でき、責任から解放され達成感を得られる瞬間と、
勝手に想像する。
実際は感傷に浸ってる時間もなく忙しいと思うが。


iPS細胞ノーベル賞を受賞された山中伸弥教授。
整形外科医を目指したが、手術が下手で「じゃまなか」と言われ、研究医になったと聞く。

自慢じゃないが、私は手先が器用だった。
手術をさせれば、丁寧且つ正確にできたと思う。
ところがだ、お勉強が苦手だ。
医師になる頭がない。


天は二物を与えず。

山中教授にも私にも、苦手なことがあった。
しかし、方やノーベル賞、方や何もなし。

天から一物も与ていない。
不公平、ALSなんかいらんぞー。

こんな考えの私は、脳神経内科或いは精神科から離れられそうにない。

72話 ドあほの悩み

今、訪問介護は6事業所から、週に延べ28人のヘルパーが支援に入っている。
週に2回来てくれるヘルパーもいるので、人数は23人程だ。


ヘルパーの介護スキルは、一人ひとり異なる。
介護スキルだけでなく、人間性も異なる。

ヘルパーであるとともに、大人であり社会人だ。
どんな職種にも言えることだが、業務評価+社会人としてどうかも評価の対象になる。
査定する側の好みもあり、公正な評価をすることは難しい。


私も支援を受ける側として、ヘルパー各位のスキルや通念は気になる。
一般に「当たり前」とされることが、がわからない人もいる。


ヘルパー全員への連絡は、所定の連絡ノートで周知する。
誰が目を通したか、既読表を作ってある。
わかりやすくを心掛けて発信するが、理解力に差がでる。

既読表にチェックしてあるのに、わかっていない。
あまりに腹が立って、こんな発信をした。


◆既読表について
既読表のチェックは「連絡を見ました」ではなく「内容を理解した」のチェックです。
内容を理解せずに、チェックだけしていると思えることがよくあります。
理解できない時は、発信者に尋ねてください。
連絡事項が生かされていません。
めくら判的チェックは不要、連絡は熟読してください。 


意思を伝える時は、人を見て言い方を変える。
3・4言えば、10わかってくれる人もいれば、
10言ってもわからなん人もいる。
わかるまで説明をする根気はなく、お手上げだ。


1字1字を連ねて言葉になり、文になる。
指文字、或いは五十音ボードで伝える。
文字がたされる毎に、言葉、文脈が予測され次の文字候補が絞られると思うのだが、
つながりようのない字を誤読されると、イラッとくる。


理解力、推察力は、生まれ持ったものだろうか。

関西人がいろんな場面で使う「あほ」という便利な言葉がある。
何度言ってもわからん「あほ」は苦手だ。
意思を伝えることに苦労している。
私の悩みだ。


妻が読み取れないと、口パクで「あほ!」と言う。
はっきりと口が動かないのに「あほ」はわかるらしい。
あほと言う方が、あほや、と妻が言い返してくる。
子供か!
毎度、あほなやり取りをしている。

俺ほど賢い者はおらん、と思っている「ドあほ」がここにいる。
 
 
 

71話 2026

年が明け、2026年になった。

普通の慣例では「明けましておめでとうございます」と挨拶し合う。

ひねくれ者の私は思う。
生きとし生けるものにとって、年の更新は「めでたいこと」だろうか。


医学は日進月歩で発展し、人間の平均寿命は伸びている。
しかし、誰しも寿命があり、必ず死を迎える。

歳を重ねることは、寿命に近づくことではないのか。
新年を夢と希望に満ちて迎えた人達には不謹慎だが、理屈はそうだ。


新年を祝う正月だが、私にとって日常生活と何ら変わりはない。
午前中は訪問看護師の処置があり、24時間体制でヘルパー各位のシフトも変わらない。
正月は家族で看るという考えもない。
(訪看、ヘルパー各位には、私のためにと申し訳なく思う)


美味しいものが喰えるわけでもなし。
いつもの如く、経管栄養剤(イノソリッド)を胃瘻から注入する。
迎春パッケージでもなく、普段通り素っ気ない。
正月の雰囲気を感じることもなく、私には不要な期間、むしろ腹立たしくさえ思う。


強いて新年を感じるとすれば、真新しくなったカレンダーかな。
どんなことが書き込まれることやら。

人間万事塞翁が馬
人生の幸不幸は予測できない。良いことも悪いことにも一喜一憂しない、という教えだ。

2026年はどんな年になるか、成るがままに身を任せるつもりだ。
 
 
 

70話 10大ニュース

2025年も残すところ数日となった。
そこで、今年を振り返り10大ニュースを選んだ。


1、病状。
明らかに全身の筋力は低下し、進行を顕著に感じる。
指文字が不鮮明になり、文字盤ボードを併用しないと意思が伝わらない。
舌が相当動かなくなった。
嚥下機能低下が進み、唾液を飲み込みきれない。
常に口に持続吸引のチューブ(メラチューブ)を咥えるようになった。
薬やリハビリの効果はあるのだろうか。
止めてたとしても、比べようがないけど。


2、車椅子ステップ製作
5年前か?、まだ呼吸器が付いてなかった頃に考えた、車椅子のステップ作りに着手した。
国内4大車椅子メーカーを始め、何十社に協力依頼のメールを送ったかわからない。
役に立つ物と思い込み、普及させたいと自己満足を求めて、
どれだけの時間と労力を使ったかわからない。
金型が高額過ぎて、実現できるかで苦しむ。
一銭にもならんのに、阿保ちゃうかと思う。
2026年まで引きずることになった。
止めた方が楽。
疲れた。


3、弟の転居
脳疾患で関東地方の施設に入所していた弟を、京都の病院に入院させた。
妻とヘルパーの2人で、どうして連れて帰ろうか。
車では時間がかかり過ぎる。
結局、新幹線のベット付きの個室を確保して連れ帰った。
住所が変わり、金融機関等の変更手続きに苦労した。
本人確認、本人確認、ええ加減にせえ!
本人は動けないと言っているのに、まったく融通がきかない。
リクライニング式車椅子で店頭まで連れていき、手続き完了。
行員から本人へ何の問い掛けもなく、連れていく意味があったんか。
それにしても、兄弟揃って不甲斐ない状態。
何かと手がかかる。
妻に頭が上がらず、親孝行もできずじまい。


4、孫の就学
孫が小学生になった。
成長した嬉しさと寂しさを感じる。
ランドセルを背負って登校する姿を見てみたい。
いつも「おじいちゃーん」と真っ先にきて、手を握ってくれる。
まだまだ、幼い。
就学前に妻と温泉に行った。
最後の入浴。
もう一緒に浴場に入れなくなると嘆いていた。


5、アカウントの追加
XとInstagramのアカウントを追加した。
オチャラケなしの車椅子のステップ製作に特化した内容だ。
X 2本、Instagram2本、そしてブログ。
売れっ子コラムニストか。
やっぱり万遍なく5本を発信するのは、無理無理。
どれかに絞らんと。
車椅子の製作を諦めたら楽になる。


6、他社の友人来たる
私がALSで自宅静養していることを知って、仕事仲間だった他社の友人が見舞いに来てくれた。
近い距離ではない。
皆で日時を調整して、1月、3月、6月、11月と4回も来てくれた。
そのたびに、見舞いを持って来てくれる。
ベットを取り囲んで、
ああやったなぁ、こんなこともあったな、昔ばなしで盛り上げてくれた。
彼らの厚意に、俺は何も返せない。
それが辛く、申し訳ない。
大事な大事な親友だ。


7、車椅子で外出
呼吸器を付けてから、外出は胃瘻交換で病院に行くだけだった。
ストレッチャーに乗せられてだ。
外出するには、呼吸器の回路交換を行い、酸素ボンベや手動人工呼吸器を持っての移動。
大層だ。
そこまでして、車椅子で出かけたいところ、観たいところもない。
桜が咲こうが、秋に落葉樹が色づこうが想像がつく。
それが、行きたいところができた。
と言うか、行かなければと思うところができた。
弟のところだ。
どんな状態か気になる。
介護タクシーで1回往復すると1万円かかる。
高ぁー!
12月に車検を迎える。
ええーい、車椅子のまま乗れる福祉車両を買ってしまえ。
ってことで乗り換えた。
元を取るに何年かかるんやろか。


8、SNSバズる
10月17日の X「俺の車椅子プロジェクト」に
京都新聞の「奈良県立医科大学でALS原因の抑制因子発見」の記事を投稿した。
なぁなんと、19万アクセスにビックリした。
これがバズるという現象かと思った。
また、このブログ「どうするALS 54話、55話」は、それまでのアクセス数と比べてバズったと言える。
いまだに、その2話の記録を超えられない。
バズったが、その代償として大きなしこりを残すことになった。


9、70話
ダラダラと70話に達した。
累計58,500字を超えた。
ひらがなを漢字に変換しての文字数だ。
視線での入力。
俺の目は頑張っている。
視線しか動かない、お前だけが頼りだ。
来年もよろしく頼む。


10、生きている
12月は私にとって鬼門の月。
過去2回の肺炎は、12月に起こしている。
12月も残りわずか、
年を越せるか否か、まだ分らないが、
生きている。


2026年はどんな年になることやら。
万事、午(うま)くいくことを願いたい。


69話 MCS

MCSの正式名称は何か。
Googleで調べてみた。


メディカルケアステーション (Medical Care Station)
頭文字を並べて「MCS」の略称を使っている。
では、MCSとは何ぞや

概要 : 医療・介護従事者向けに特化した、多職種連携を支援する非公開型SNSである。
機能 : <患者に関する情報をタイムリーに共有したり、写真や動画を共有したりできる。
また、患者や家族を招待して連絡ツールとしても利用できる。

特徴 : 厚生労働省などのガイドラインに準拠したセキュリティ対策が講じられており、パソコンやスマートフォンから利用可能。


家族が連絡ツールに入れるとは知らなかった。
妻は招待されていないから、情報が入らない。

紙の日報に「目を通せ」と言っているが、観ていない。
だから、私の状態やどこが痛いと言っているかなど、なぁーんも分かっていない。
情報ツール内では「もう長ないで」と言われているかもしれんぞ。


少し気になっていることがある。
情報ツールの管理者は誰なのか。
管理者は、誰に発信しているかを把握しているだろうか。

MCSは、個人(患者)情報が満載だ。

セキュリティ上、誰でも観られない。
観られるのは、事業所の役員クラスだ。

そして、実務者に情報が伝えられる。
時々、伝わっていないこともある。


利用者ごとにMCSを使用しているとすれば、役員クラスに届く情報量は、
相当なものと推測する。
連絡を受ける側も大変だ。



ところで、支援から外れた事業所、退職した役員への連絡は停止されているのだろうか。

グループ連絡ツールでは、外れた者の削除忘れはよくあることだ。
とはいえ、個人情報は慎重に扱ってもらいたい。
私の個人情報なんて大したものはないけれど。


MCSに挙げて欲しいと頼むことがある。
ローマ字の「M・C・S」を指文字や、文字盤ボードで伝えるのは難しい。

メディカル ケア ステーション (Medical Care Station)
私は「メケス」の略称を使いたい。


今回は(も) アカン、MNGや。
MNGとは何ぞや。
Myブログはイマイチや、ってこと。 

My blog is not so good
の略称のつもりだ。