どうする ALS  

         59歳でALSと診断された。定年退職まで、あと8ヶ月の頃だった。 ALSとともに4年目に入った。 その間に呼吸器が付き、手足が動かなくなった。 これからどうするのか…  日々の感情や考えを綴っていきたい。

28話 屁(へ)

っさーーぁ
私が屁をこくと、妻がそう言いよる。
そんなことを言うのは、妻だけだ。

みんな「いいのが出た、ドンドン出してや」と言ってくれるのに。


腹が張って、無茶苦茶しんどい。
ガスが溜まっているのに、出ない。

あと少しのところで、腸に戻ってしまう。
腹筋がないのか、自力で出すのが難しい。


排便前に、ヘルパーが腹をマッサージして、ガスを肛門へと追い出す。
腹を押し続けると、
ぶ・ぶ・ぶリぶリリリリリリリリリリリーー
( 下品で、申し訳ございまん )

何度も繰り返し出る。
笑えるほどにだ。
腹が一気にしぼむ。
どんだけ溜まっていたんや。


訪問医から、呑気症(どんきしょう)という言葉を聞いたことがある。
へーぇ、そんな病気があるんか。

呑気症とは、
空気嚥下症ともいって、大量の空気を呑み込むことによって、胃や食道、腸に空気がたまり、腸に流れた空気は、最終的にオナラとして体外に出す、と書いてあった。

どうやら、呑気症のようだ。


呼吸器を付けてから、嗅覚がなくなった。
アロマの匂いも、入浴剤の匂いも、💩便臭も分からない。
当然、自分の屁の臭いも分からない。
それだけに、気になる。


体を動かすと、屁が出やすい。
動かしている最中に、出てしまう。
「ごめん」また屁をかましてしまった。

妻は、私の屁を臭いと言う。
毎日、同量の栄養とクスリしか注入していないのに…
「奥さんだから言えるんですよ」ヘルパーが言ってくれる。
人前で、へー気で屁はこけるほど、豪傑ではない。
やっぱり、抵抗はある。


これからも、我慢せずに出させてもらう。
病気だと思って、私の屁と付き合ってもらいたい。



さて、今回「おなら」か「屁」か、言葉に迷った。
どちらも辞書に "肛門から放出する空気” とある。
おならの方が、上品に聞こえるが、身近な「屁」を使うことにした。

屁の漢字はあるが、おならの漢字はない。

屁理屈、屁垂れ、屁の突っ張り、屁の河童、屁でもない、屁っ放り腰など、
普段から馴染みがある表現だ。



「達磨さんが転んだ」の遊びをご存じだろう。
1人の鬼と子に別れ、鬼が後ろを向いて「だるまさんが ころんだ」と言う間に、子が親に近づく遊びだ。

私の世代と地域では、「ぼんさんが 屁をこいた」と言う。
そのあとに「たいへんに くさかった」と続き20字になる。

昔から「屁」「臭い」は切り離せない関係なのだ。
 
 
 

27話 ヘルパーの手

24時間、仰向けでいる。

体の裏面には、体圧が掛かっている。
同じ姿勢でいるのは、辛い。

圧抜きをしたいが、自力では体を動かせない。
他力に頼るしかない。

ヘルパーに体を触られたくない、利用者がいるかもしれない。

私は、ドンドン触って欲しい。
体圧を分散したい。


体を動かしたり、さすったり、揉んだりの刺激で、
血行や皮膚感覚、可動域が保たれる。

心身が活性する感じだ。
排痰効果もあり、良いことばかりだ。


あるヘルパーが言った。
「仰向けばかりで、可哀そう」

体を横向きにして、背中を揉んでくれた。
背中が開放されて、気持ちいい。
痰も上がってくる。

横向いて圧を開放、気持ちがいい

こうも言っていた。
自分の肩や首を押さえて、気持ちの良いところを確かめていると。


背中がかゆい、頭がかゆいと常々言っている。
それを知って、カキカキしてくれるヘルパーもいる。

個々のやり方で、体を動かせてくれるヘルパーが多い。


筋力は落ちたが、皮膚トラブルも、たいした拘縮もない。
有り難いことだ。

機械は、適度に動かさないと、動きが悪くなる。
人間もおなじだ。


事業所の方針か、本人の意思か?
マッサージ的なことに、消極的なヘルパーもいる。
仕方ない。

だけど、体圧が掛かったままの辛さは、分かるはずだ。
除圧は、ヘルパーでもできる行為だ。

こちらから頼むより、
「しましょうか」と言葉を掛けられる方が、ありがたい。
そのことは、知ってて貰いたい。

朝の寝起きの除圧は、格別に気持ちいい。
定着させたい。

スライディンググローブをはめて、背中を除圧


少し前に、夜勤に入っていたヘルパーがいた。

寝るまでの1時間ほど、体の各所を指圧してくれた。
スライディンググローブをはめて、さすったり、除圧をしてくれた。
気持ちのいい時間だった。

ところが、ヘルパーを辞めたと聞いた。
残念だ。

背中の筋をコリコリ、
そのイタ気持ち良さが、忘れられない。
 
 
 

26話 医者を選べ

8月のお盆前のことだった。

お袋から、近所の人が亡くなった、と知らせがあった。
特に親近感があった訳ではないが、
ショックだった。

80歳半ばと聞いたが、もっと若い印象があった。


お袋の話によると、
肩が痛い、整骨院に通っていた。
かかりつけ医にも、診てもらっていた。

医者から、病院での検査を勧められ、受診した。
すぐに入院したが、1週間もたたずに亡くなった。
癌だったらしい。

かかりつけ医は、何を診てたのか!


私が50歳のころだ。
同じようなことがあった。

取引先の社長で、2・3歳年上だった。
仕事では、喧々諤々やりあったが、プライベートでは、仲が良かった。

腰が痛い、と整形外科に通っていた。
痛みが取れず、内科で診てもらった。
膵臓癌だった。

「余命宣告を受けた、何としても生きたいと私に打ち明けた。
返す言葉がなかった。

それから、間もなくしてメールの返信が途絶えた。
奥さんから連絡があった。
天国へ旅立ったのだ。


特に開業医の中には、患者を抱え込む医者がいる。
たちの悪い医者だ。
手放された時には、もう手遅れだ。


私の病気は、どこで診てもらっても、分からなかった。
ALSと診断した先生は、初診、検査、再診で、病名が分かった。
そんな名医でも、セカンドオピニオンを勧め、大学病院を紹介してくれた。
最も信頼している先生だ。


医者は、患者の命を預かっている。
その自覚を、強く持ってもらいたい。
医者の診断で、人生が変わることがある。
診断は正しかったか、自問することも必要ではないか。


医者は、神様ではない。

患者も、診断を鵜吞みにせず、疑うことも必要だ。
この医者は駄目だ、と思えば他で診てもらえばいい。
セカンドオピニオンも受けるべきだ。
遠慮なんて、要らない。
自分の体だ。


「疑う」という言葉の印象が良くない。
しかし、疑うことで、救われることが多い。


前述の癌の発見が遅れ、死に至った教訓から、頼れる医者を選ぶことが大切だ。
手遅れだと、後悔をしないために…
 
 
 

25話 ペグ交換

6カ月に一度の胃瘻ペグの交換月がきた。

前回は、入院予定だったが、諸事情で日帰り交換になった。
今回も、日帰り交換を望んだが、
訪問医や訪看の勧めで、各検査も兼ねて一週間入院してきた。


入院には、心配があった。
意思を伝えられるかだ。


一方で、入院しなければ、会えない人達がいる。

2022年12月、肺炎、呼吸器装着、胃瘻造設で3カ月入院した。
その時の病棟看護師だ。
いまでも、殆んど全員の名前を覚えている。

中でも、世話になった数人の看護師がいた。
私の "お気に入り"で、元気で明るかった。

まだ、居るかもしれない。
会いたい。
その気持ちが、入院の後押しをした。

介護タクシーのストレッチャーで、病室に入った。
そこに、お気に入りの看護師が、待機していた。
「あっ、いてる」
それだけで、安心感を得られた。

ナースコールが押せない タッチセンサーを用意してくれた

その後も、何人かが、
「◯◯さーん」と病室に来てくれた。
覚えてくれている。
嬉しかった。


6カ月経てば、またペグの交換が来る。
次回は、入院するつもりはない。
入院することがあれば、それは、終焉の時だ。

会いたかった看護師、全員ではないが、逢えた。

「もう会うことはない」、と心の中で呟いた。
恋しい気持ちに終止符を打ち、想い出にかえた。
生涯、忘れはしない。


ところで、
意思は伝わったか。
初対面の看護師には、伝わらなかった。
口パクも指文字も駄目だ。
五十音ボードを、使うことすらしない看護師もいた。
結局は、辛抱せざるを得ない。

何故か、お気に入りの看護師には伝わる。
私を知っているか否か、その差が大きい。

手製のB4 五十音ボード


それにしても、
自宅療養では、24時間、誰かが傍にいる。1対1だ。
病院では、一人の看護師が複数人を担当する。1対 多だ。
大きな違いを感じた、入院だった。



余談だが、
個室に入院したのに、初日から同居するものがいた。
小さな黒い蜘蛛の「クロちゃん」だ。

毎日、天井や照明の周りを徘徊していた。
ところが、退院前日の夜には、姿を見せなかった。
俺との別れが、辛かったのか…?

部屋主として、患者を見守り続けて欲しい。
 
 
 

24話 架橋

パリ オリンピックが終わった。
日本選手のメダルラッシュに沸いた大会だった。


ゆずの「栄光の架橋」をご存じか。
北川悠仁氏 作詞作曲の名曲だ。
アスリートの応援歌と言える。

アスリートの頑張る映像に、この曲が流れると、
熱い感動が、こみ上げてくる。

 

アスリートは、オリンピックを目指して、
4年間、より速く、より強く、より美しく、
絶え間ない努力の日々を、積み重ねて来た。


メダリストは、世界中から脚光を浴びる。
メダルを逃したアスリートには、光が当たらない。

しかし、両者ともに、
栄光の架橋」にある、想いをして来たはずだ。
迷わずに進んで、辿り着いた栄光の日本代表だ。
胸を張って、誇ればいい。
十分に賞賛に値する。


ALSなって、4年。
私にも、いろんな心境があった。
悔しくて、ひと目もはばからず、泪を流したこともある。
運命を恨み、生きることが嫌になったこともある。
何度も何度も、楽になりたいと思った。
いくつもの苦しみや悲しみに、耐えてきた。
そこには、たくさんの支えがあって、今がある。


だから、もう迷わずに難病と向き合えばいい、
と格好よく言いたいが、
これから、何を信じて、どこを目指せばいいのだろう。


応援歌には、勇気や希望を与える力がある。

ゆずさんよ、このブログが目に留まれば、
難病者のやるせない心に響く、歌を作って欲しい。
我々の心に届く 復活の架橋へと…

 
 
 

23話 さてどっち

飲食ができなくなって、久しい。

呼吸器を付けて、退院してきた当時、
皆が気を遣っていた。
食べ物の話やテレビ番組は、避けていた。


今では、食べ物のバラエティー番組ばかり観ている。
食べることに、興味があるから苦にならない。
でも時々、無性に食べたくなる。
自分で作りたい衝動に駆られる。
食への想像が膨らむ。


会話ができたら、こんな話をしてただろう。

Q、目玉焼きにかけるのは、ソースか、醬油か。
⇒塩胡椒を振って、黄身に穴をあけて醬油たらす。
 半生の黄身を熱いご飯にのせて、食べるのが好きだ。
 黄身のかかったご飯が旨い。

Q、あじフライは、ソースか、醬油か。
醬油がいい。マヨネーズをかけると更に旨い。
基本的に醬油派のようだ。

私は直接マヨネーズをかける

Q、ラーメンは、豚骨か、醬油か、味噌ラーメンか。
⇒若い頃は、豚骨こってりがよかった。歳を重ねると、こってりは重くなった。
 醬油ラーメンの中華そば風がいい。

Q、豚汁に掛ける香辛料は、一味か、七味か、胡椒か、それとも他の物?
⇒豚汁の具材にもよるが、我が家はジャガイモを入れる。
 妻は七味だが、ジャガイモには断然胡椒が合うと思う。

Q、うどんは、讃岐風か、京風の腰抜うどんか?
柔らかいうどんが、好きだ。うどんのコシがよく分からない。
 硬いうどんは、苦手だ。出汁は煮干し(いりこ)より、カツオ出汁がいい。

Q、うどんと蕎麦では、どっちがいいか。
⇒難しいが、蕎麦かな。スーパーの蕎麦でいい。
 冷やし蕎麦に、とろろ芋・天かす・温泉卵をのせる。
 麺つゆを掛けて、ワサビと一緒にかき混ぜる。ズルズルと食べるのが旨い。
 子どもも好きで、よく作った。
 因みに、妻は蕎麦アレルギーだ。何てこった…

Q、きゅうりの糠漬けは、浅漬けか、古漬けか。
べっ甲色くらいの古漬けが好きだ。からし醬油が合う。
 浅漬けなら、おろし生姜だろう。

Q、しゃぶ鍋は、牛しゃぶか、豚しゃぶか。
バラ肉の豚しゃぶが旨い。鍋にみず菜や千切りキャベツを入れると合う。
 牛しゃぶに合う野菜が、思いつかない。

Q、お好み焼か、焼きそばか。
⇒迷うが、お好み焼かな。甘辛ソースとマヨネーズの合わせ味は最強だ。
 ご飯と一緒に食べるなら、焼きそばだ。


食べ物の話をすると、話が尽きない。

このまま、食べ物を味わうことなく、終わってもいいのか。
悔いは残したくない。


そもそも、何故、何も口にできないのか。
嚥下機能の低下で、誤嚥のリスクが高いからだ。

けれども、自分の唾液でも、誤嚥のリスクはある。
ならば、リスクの高・低の問題ではないか。

固形物は無理でも、液体ならどうか?
スプーン一杯、
いや、スポイド数滴でいい。

最近、味わいたい気持ちを強く感じる。

誤嚥覚悟で味わいを求めるか、辛抱するか、
さて、どっちを取るか、
難しい選択だ。


胃瘻に直接注入しても、味は分からない。
お酒なら酔えるかもしれない。
飲酒の気分が、味わえる。

試したいが、俺は、下戸だった。 止めとこ。
 
 
 

22話 体感

今年の夏は、暑い。
連日、38度・39度の予報が出ていた。

妻が部屋に入ってくるなり、
「暑い、暑い」を連呼する。
俺は、その暑さを経験できんのや!
無神経さに、腹が立つ 。



健常者とは、体感が異なる。
エアコンが、きつい訳ではない。

長袖・長ズボンを着て、タオルケットを掛けている。
それでも、下肢が寒い。
特に足先が、冷たい。
冬用の「もこもこ靴下」が、離せない。

下肢の筋肉が落ちている。
見たくない程に、細い。
筋肉量が減り、血液の循環が悪いから、寒いのだろう。


夏場でも、エアコンを嫌う高齢者が、多いと聞く。
加齢に伴い、筋肉量は減っていく。
そればかりか、自律神経も鈍ってくるらしい。

自律神経とは何か、調べてみた。
呼吸や体温、血液循環、代謝、消化などを、無意識のうちに調整している神経とあった。


私も初老の域に入った。
頭は正常でも、身体はそうでもないようだ。
「脚に血液を流せ」と命じても、身体は従わない。
自律神経には、あがらえないものか。


どうしょうもないことに、神経質になっても仕方ない。
筋肉量の落ちた体感に、対応するしかない。


病人になって思った。
「暑いだの・寒いだの」は、贅沢なことだ。
季節や寒暖を、肌で感じられない病人がいる。
健常者と同じ感覚とは、限らない。
病人の前での発言には、気遣いが必要だ。
 
 
 

21話 3つの判断

人間は、無意識のうちに、いろいろな判断をしている。

日差しが強いから、日陰を歩く。
これも、判断。
車やバイクの運転は、瞬時の判断の連続だ。


ALSでは、熟慮の末に下す、三つの判断がある。
一つ目は、人工呼吸器を付けるか否か。
二つ目は、喉頭気管分離手術を受けるか否か。
三つ目は、延命治療を行なうか否か。


一つ目の呼吸器は、既に付いている。
呼吸不全に対処する、延命処置だ。
救命で、付いた感もあるが…
もう、外せない。
後悔を感じる時がある。


二つ目は、食道と気管を分離する手術だ。
気管への唾液の流れ込みを、完全に防止する。
だから、誤嚥性肺炎は、起こらない。

私は、分離手術を望まない。
何故なら、死ねる機会を失うからだ。

死を急ぐ訳ではない。

物事には「ほどほど」「潮時」がある。
ちょうど良いタイミングを示す言葉だ。
その時期を逃すと、良い結果を招かない。


三つ目の延命は、誤嚥性肺炎を起こした時のことだ。
積極的治療を求めるかだ。
分離手術をしなければ、再発を繰り返す。
その時の判断が、寿命を決める。


人それぞれ「生」への執着心は異なる。


人の助けがないと、何もできない。
想いを叶えることもできない。
動かない身体で、日々を過ごすのは嫌だ。
ダラダラと生き続けたくない。

自身も辛いが、家族にも負担を強いる。

人生の幕引きを、自分なりに考えている。

その時は、ぶれずに決断したい。
(決断するのは、怖いけれど…)
 
 
 

20話 回顧録10 : 入院総括

自慢できることではないが、
入院歴は結構ある。

腰の手術を二回、膝の骨折でも入院した。
その他にも、いろいろある。

自分は見ることのない10本のボルト

痛めた患部や病状を、治療するための入院だった。
治って良かった、と思えた。


けれども、今回の細菌性肺炎での入院は、今までとは異なる入院だ。
「生きるため」の治療?を受けた。

呼吸管理のために、気管切開し呼吸器を付けた。
栄養を摂取するために、胃瘻を造設した。

治療なのか、処置なのか、分からない。
退院しても、喜べなかった。


3ヶ月の入院、病棟看護師の名前は、全員覚えた。
看護師も、私を覚えてくれた。

親しくなり、お気に入りの看護師もできた。
明るくて愛想がよく、機敏で、仕事もできる。
だけど、担当として、なかなか私に付いてくれない。

廊下から聞こえる声、今日はいるんだ。
それだけで、安らげた。


退院すれば、もう会えない。
「元気でね」と見送られた。
淋しいが、患者と看護師は「一期一会」が好ましい。
会えないことは、本来、喜ばしいことだ。


入院期間を振り返ると、
予想外のこともあり、順調ではなかった。
それにしても、私の態度は、なっていなかった。

60歳過ぎのおっさんが、感情をあらわにしていた。
涙を見せたり、不満を訴えたり、無理なことも言った。
恥ずかしいことだ。
申し訳なく思う。
病院スタッフに、改めて感謝したい。


退院から10ヶ月後、
誤嚥性肺炎で、また入院してしまった。

同じ病棟だったが、看護師が随分変わっていた。
やはり、「一期一会」と言えそうだ。
その時々に出会えたことを大切に、心に留めたい。


19話 怒りの表現

今更だが、ALSは残酷な病気だ。

頭は正常、いやむしろ、キレッキレだ。
思考力、理解力、認知力も劣っていない。
なのに、体が動かない。

この悔しさ、分かりますか。

悔しさや苛立ちが、常に根底にある。
感情の大半を占めている。

心も健常者ではない。

ヘルパーには、そこを解って欲しい。


自分の性格は、分かっているつもりだ。
喜怒哀楽
「怒り」は、出さないように心掛けている。

けれども、すぐに眉間にしわを寄せ、不満を表す。
私は、まだまだ辛抱が足らず、未熟だ。


仮の話として、聴いて欲しい。
「こうとうぶ、かゆい」と指文字で伝える。
言葉は伝わったが、「こうとうぶ」の場所が分からない。
えぇっ? 小学生でも…

或いは、何度来ても、するべきルーティンが、覚えられない。
手技や知識も、イマイチだ。

或いは、バタバタ落ち着きがなく、せわしない。
伝える意味が分からず、スカタンなことをする。また伝え直しだ!

このようなヘルパーがいたとすれば、穏やかでいられない。
苛立ちどころか、怒りを覚える。

怒りや苛立ちは、ストレスとして残る。
どうにかして、吐き出さないと。
怒りの表現は、難しい。


頼れる看護師やヘルパーはいる。
悲しいかな、そこはやはり他人、ビジネスの関係だ。
プライベートな苛立ちもある。
本気(マジ)で怒りや苛立ちを、ぶちまけられない。



仕方なく、妻に矛先が向く。
「怖い顔して、怒ってばっかり」と不快感を表す。
その態度に、腹が立つ。

俺は、一日中、ヘルパーと過ごしているんだ。
お前(妻)は、俺の気持ちが解らんのか!

いつも、喧嘩だ。


妻も所詮、他人、私のクローンではない。
「理解しろ」という方が、無理なのか?

喧嘩の絶えない日が、続くだろう。

ALSは、神経の病だが、怒りや苛立ちとの闘いだ。

同病の方は、どうして発散しているのか、知りたい。
 
 
 

18話 回顧録9 : メンタルの崩壊

退院日が2月20日に決まった。

ところが、2・3日前から、腹がパンパンに張っている。
ガス抜きの処置をしたが、へこまない。


退院前日に、CT画像を撮った。

腹の中に空気が溜まっている。
折角、造った胃瘻だが、腹膜と胃前壁が癒着していない。
胃瘻カテーテル侵入口表皮が、裂傷している。
それが、原因だった。

直ぐに、胃と皮膚を糸で止め、密着させる処置が施された。

3ヶ所を糸で引き上げている

翌日の退院は、取り消された。
またか!

退院が近づくと、いつもゴールが遠のく。
もう、どうでもいい。

毎晩、感情が込み上げ、涙が止まらない
度重なる不運、この現実から、逃れたい。

担当医に「もう楽になりたい!」と無理をいい、諫められた。

完全にメンタルが崩壊していた。


一方で重度障害者認定が、下りていない。

役所は、3月上旬と言うだけで、日が確定していない。

家に帰れば、24時間体制の支援が必要だ。

重度障害者制度が使えなければ、1日9万円の自己負担になる。
早く退院したら、それだけ自己負担が増える。

どうする?
私を苦しめる一因であった。

何十万も払ってまでも、早く退院したいのか。
俺にそんな価値があるのか?


退院許可は出ている。
悩みぬいた末に出した答えは、
もう、いくら掛かってもいい。限界だ。
このチャンスは、逃せない。


2月27日に退院することにした。
胃瘻の糸は、付いたままだ。
※役所とケアマネの話し合いの結果、自己負担はなかった。


入院前と退院時の形体は、大きく変わった。
常時、呼吸器が付いている。

どんな生活が待っているのか、想像できない。
取り敢えずは、退院できることに安堵した。

長い長い入院が、終わった。



感謝
入院期間、忙しい中をA先生、T師長、Mちゃんが、何度も病室まで来てくれた。
私の感情を受け止めて、励まし、支えてくれた。
三人が居てくれたから、長い入院を乗り越えられたと思う。
その他にも、担当医師、よく来てくれた臨床工学技士◯◯さん、退院支援で奔走してくれた◯◯看護師、胃瘻ケアをしてくれた◯◯看護師、そして、病棟師長はじめ病棟スタッフに感謝したい。
ありがとうございました。